『ずっと、ずっと甘い口唇』-6-(『楽園』シリーズ) 

2010, 04. 21 (Wed) 12:56

 私がいた勤めていた情報系の仕事場は、己の裁量で、ある程度勤務時間を決めることができました。
 本当は普通の会社と同じような就業時間が設定されていましたが、やっつけ仕事というか、突然入るお客のわがままニーズに合わせていたら、とてもそんな場合ではなく、書類上は労働基準法に従っていましたが、とてもとてもそんなの守っていられないのが現実で。
 徹夜の仕事になることは珍しくなく、椅子を三つつなげた上で仮眠したり(かえすがえすも器用な人だった…)、床に段ボール敷いて寝たり…。
 独身者が着替えのために始発の時に仕方なくいったん帰宅して、そのまま気を失って帰ってこなかったなんて事は日常茶飯事でした。
 長時間労働は同志愛を湯水のように湧きあがらせるとともに、既婚者は離婚の危機と背中合わせ・・・なんてことも。
 同業者でないと理解できない世界だったな・・・と思います。
 でも、ネタにはなる・・・。ふふ。

 さて。
 そんなわけで、つづきをどうぞ。




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  現在は、『睦み月』で『シゲルとミケ』シリーズです。
  飲んだくれ猟師と化け猫の話。
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 『ずっと、ずっと甘い口唇-6-』



「ちぃーっす」
「やっと来たか、この酔っ払い」
 結局、片桐が会社にたどり着いたのは昼休み直前だった。
「たどり着いただけでも誉めてくれ・・・」
 無理矢理流し込まれた日本酒の名残りがこめかみから眼球への血管を圧迫して、岡本の軽口に応えることすら辛い。
「・・・ハルは?」
「お前と出来が違うから、とっくに来てしゃきしゃき仕事しているさ。今は会議の資料をコピーしているとこ」
「そうか」
「おい、片桐!!話は終わってねえぞーっ!」
 何やら喚いている岡本を置き去りに、コピーブースへと向かう。
 三台並んだコピー機の一番奥の前でほっそりした体躯が背中を壁に預けて佇んでいるのが目に入った。
 自動的に資料をソートしてホッチキス止めまでしてしまうコピー機の動きをぼんやりと眺める横顔は、いつもより青白く思える。
「ハル」
 びくりと肩を震わせ振り返るその瞳はいつもより潤んでいるように見え、片桐は息を呑んだ。
「あのな・・・」
 なんとか言葉をつなごうと足を勧めたその瞬間、ぐわっしゃんという不快な音とともにコピー機がブザーを鳴らして停止する。
「紙が・・・」
 春彦は膝をついてコピー機の給紙扉を開き、詰まった紙を探し始めた。その隣に膝をついてはみたもののその気まずさから何をどうすればよいのかわからず、とりあえず一緒に扉内を覗き込む。
「・・・あのな、昨夜とさっきのことなんだけどさ・・・」
「知りません」
「・・・は?」
「昨夜は飲みすぎて、何がなんだか。どうして片桐さんが俺の部屋にいたのかこっちが聞きたいくらいです」
 至近距離で振り返った顔は相変わらず菩薩のような優しげな笑みを浮かべていたが、どこか作り物めいて、冷ややかな空気をまとっている。
「でも、お前・・・」
「まだ出来上がっていなかったですよね?」
「へ?」
「片桐さん担当の補足説明資料。会議まであと一時間くらいしかないのに、ここで油売っていて、大丈夫なんですか?」
 二人の間に重い沈黙が落ちた。
 補足説明資料なんかより、こっちのほうがずっと大切な話じゃないか。
 ・・・と、言えたらどんなに格好良いだろう。しかし、資料が出来上がっていないのは本当のことで、岡本や佐古たち他部署の人間を交えての会議に穴を開けるわけにはいかない事は、中堅になりかけの片桐が一番よくわかっている。ここはいったん引くしかなかった。
「悪い。続きは定時後な」
 とっさに春彦の頭をくしゃりと無造作に大きな手で撫でたあと片桐は立ち上がり、足早に去っていった。
「・・・冗談じゃない」
 コピー機にこつんと額を当てて春彦は呟いた。
 何を話せというのだろう。
 いつもそうしていたように、まるで子供を宥めるような触れ方をして去った彼と。


「・・・やっぱり、バンビちゃんの逆襲じゃん」
「バンビちゃん言うな、この人でなし」
 ぷかーっとタバコの煙を喫煙室の天井に向けて満足げに吐きだす佐古の腰に、岡本が背後から軽く蹴りを入れる。しかし態度も身体も大きな佐古は微動だにせず、かえって百六十センチそこそこしかない岡本がよろめく羽目になり、そばで見ていた立石は黙ってゆるりと顔を伏せた。
「笑うなよ、徹。笑ったらお前も人でなしだぞ」
 不敵な笑いを浮かべる佐古の背中に今度は小刻みなパンチを繰り出すが全く相手にされない。まるでそれは子供が癇癪を起こして父親に八つ当たりしているようにも見え、ますます笑いを誘う。
「くそ。お前らとは絶対前世も祖先も敵同士だ」
「そりゃ、一滴たりとも血が繋がっていないことは一目瞭然だろ」
 容貌もさることながら華々しい学歴と業績を持ってこの会社へ転職してきた佐古は、ここで明らかに異質な存在だった。神聖視して老若男女問わず誰もが遠巻きに見つめている中、唯一普通に接してきたのがこの岡本で、彼を中心に同世代の仲間の輪が次第に広がっていき、設計部の片桐たちとも親しくなった。社内随一の美女が自分と身長の変わらない男を伴侶に選んだ理由は、このさまを見てきたからではないだろうか。
 そんな二人のじゃれあいをほのぼのと眺めていた立石がふいに真顔になり、ぽつりと呟いた。
「それはともかく。ハルの顔色が悪いのが気になるな」
「そりゃ、初夜明けだしな」
「・・・だから、そういう生々しいこと言うなって」
 佐古の脇腹に軽くパンチを入れ、岡本は眉をへの字に曲げる。
「それはともかく。・・・なんか、風向きが妙だよな」
 受話器の向こうから聞こえてきた片桐の雄叫びと今の二人の様子を見る限り、気まずいというレベルで済む話ではなさそうだ。
「嵐が来るか」
「嵐が来るよな」
「嵐以外のなにものでもないだろ?」
 三人同時に天井に向かって白い煙をもあーっと一斉に吹き上げた。



 今日はなんだか針の進みが遅い。

 背後の壁につるされた時計の秒針が刻む微かな音を、まるで背中に耳が付いているかのように聞き取り、数え続けていた。もちろん議事内容はきちんと把握して手元の資料に事細かく改善指示などの記載のための赤ペンを走らせている。しかし、春彦は今日に限って出席者たちが無駄なことを延々と論議しているように感じて苛立ちを覚えた。
いったい、いつになったら結論に辿りついてくれるのだろう。
 いつもは興味深くて楽しい佐古のレクチャーも、今は、とても回りくどい薀蓄に聞こえてしまう。
 各部署あわせて二十人あまりの人間が詰め込まれた会議室は空調が効かないのか空気が希薄な感じがして何度も深く息を吸う。全身がだるく、椅子に座り続けることが苦痛だった。だんだん秒針の音しか耳に入らなくなり、ペンを握る指先が白くなっていくのをじっと見つめた。とにかく一刻も早くこの場を去りたいということばかり春彦が考えて始めていたその時、進行を取仕切っていた立石が会議の終わりを宣言した。
「じゃあ、各部署再検討ということで。最終稿は週明けまでに俺のところまでメールで提出願います」
 その言葉とともに、それぞれ手元の資料をまとめて立ち上がり、三々五々に去っていった。
 やっと終わった。
 春彦は目を閉じふうと息を吐き出して背もたれに身を預けると、その頬に大きな手が伸びてきてゆっくり触れた。
「よく頑張ったな」
 温かい。
 目を開けるとそこには立石の顔があった。
「立てるか?それとも、水を少し飲むか?」
 ペットボトルを差し出して問われて、自分が酷い顔色をしているのだと気がついた。
「・・・大丈夫です。立てます」
 人に気付かれたことが恥ずかしく、無理矢理笑顔を作って立ち上がろうとしたが、全く力が入らずによろけてしまう。
「ハル」
「すみません。大丈夫です」
「その顔色で無理をするな」
「でも」
 問答している間に手のひらから冷たい汗がじわりとにじみ出てくる。
「徹、荷物取ってきた」
振り返ると、扉のところに荷物を二つ抱えた佐古が立っていた。その腕には自分のコートがかけられている。
「お前、そんな紙みたいな顔をして大丈夫もへったくれもないだろう?これ以上酷くなって救急車呼ぶほうが騒ぎが大きくなるから、徹と帰れ」
「でも、まだ時間が・・・」
「事務の本間に話を通してきたから大丈夫。今日は課長も出張でいないし。席に戻っても、それじゃあどのみち仕事になんないじゃんか」
 物言いは乱暴だが、彼の声にはいたわりの色が滲んでいるように聞こえる。
「佐古の言うとおりだ。とにかくここを出よう」
 腰に手を回して支えてくれている立石が耳元でそっと囁いた。
 背中に当たる体温がじんわりと暖かくて優しい。 
 春彦は深い息を一つついて、こくり、と、頷いた。
「とりあえず、下まである程度自力で歩けるか?タクシーに乗ろう」
 長い睫毛を数度しばたたかせた後、顔を上げて答えた。
「・・・はい」



  『ずっと、ずっと甘い口唇-7-』へつづく。







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